新中町町内会
会長あいさつ
私たち新中町町内会は町田市中町四丁目を中心に中町三丁目、本町田及び南大谷の一部地域を含め、360世帯ほどの構成です。小田急線の町田駅から徒歩15分程の、閑静な住宅街に位置します。
町内会は昭和39年4月(1964年)に結成され、令和6年(2024年)で60周年を迎えます。会員数も徐々に減少している今、町内会行事や回覧物などのデジタル化を図る取り組みを行い、若い人たちも参加しやすい環境を作っていきたいと考えています。
当ホームページはその一助になればと考えています。高齢者向けスマホ教室も開き町内会員全ての人に利用していただけるよう工夫してまいります。
昨年(令和5年)は関東大震災から100年の節目の年でした。令和6年の元旦には能登半島で震度7の大きな地震に見舞われました。関東地方でもいつ起きてもおかしくない状況との話が寄せられています。町内会では都立町田高校を大規模地震災害時の避難所とし、防災の備えと考えています。
子どもから高齢者まで安心で安全に暮らせる街づくりを推進して行きます。まちをより良くするためには、地域の皆様が共に手を携えて取組みを進めることが欠かせません。
是非、多くの地域の皆様の町内会活動へのご参加を期待しております。
新中町町内会会長 米山 茂
新中町町内会 令和6年度 活動計画
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総会(1回)・幹事会(12回)を開催する
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小学児童の入学、卒業を祝う
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敬老行事を行う
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盆踊り大会を開催する
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菅原神社の祭礼に合わせ祭典行事を行う
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第2地区連合会のイベントに参加する
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毎月 新中町平和公園・中町公園・本町田なかまち公園の清掃を行う
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町田市ゴミ減量活動に協力する
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毎週土曜日の資源回収を実施する
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交通安全教室の開催する
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年末夜警パトロールを実施する
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災害時に備え防災組織編成および資器材の整備充実を計る
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自主防災訓練を行う
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火災予防活動に協力する
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町田市青少年健全育成町田中央地区委員会の行事に参加・協力を計る
町田の歴史
【町田、中町のいわれ】
はっきりしたことはわかっていませんが、次のような説があります。
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「町」は田の区画のことなので、「町田」は区画した田地のこと。町田といわれるようになったのは、今の本町田あたりから田がひらけはじめて、それがきちんと区画されるようになったから。
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むかしはマチとイチは区別のないことばだった。町田は古くから市がさかんだったので、そこから町田という名になったのではないか。
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市には「市の神」がまつられる。その祭りの費用にあてるための田を「祭り田」という。この祭り田が祭田(まちだ)になったのではないか。
昭和33年(1958年)2月1日、町田町、鶴川村、忠生村、堺村が合併して東京都で9番目の市として、町田市が誕生しました。
その年の4月1日現在の人口は、61,597人(男30,763 人、女30,924人)世帯数は、13,001世帯でした。
【中町はいつ】
原町田・南大谷・本町田の一部分が昭和40年(1965年)7月1日か ら中町になりました。町田市の中心にあるので「中町」と名づけられました。
※町田市立図書館地域資料研究会1993年(平成5年)3月編纂「町田の地名のいわれ」より
新中町町内会は会則に昭和39年4月施行と記載があり、昭和40年7月の町名変更にあたり、本町田の一部の地域で活動していた町内会が新たな町名をといりれ、現在の名称になったと考えられます。
毎年盆踊り、夏祭りや清掃活動を通して地域のコミュニティを広げ、住み良い街を守ってきた町内会も令和6年(2024年)4月で満60年を迎えます。
今後とも皆さんと一緒に明るく住み良い文化地域を目指して、町内会活動を進めてまいります。